浅田真央と水蜜桃

 浅田真央選手・高橋大輔選手を中心に、
 フィギュアスケートの動画を紹介するブログです。
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髙橋大輔 新シーズンに向けて ニコライの加入・他 【コラム】

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【冷静と情熱のあいだ】
自分がやるべきことをきちんとやるに尽きる 髙橋大輔



 いよいよ新シーズンに向けて本格始動の時期。今オフは休みは取らず、ショー出演などのかたわら、スケート靴やエッジの種類を変えて色々な組み合わせを試している。プライベートで唯一のイベントは引っ越し。部屋が少し広くなって、やっと自宅でのストレッチスペースができた。

 ■バレエレッスン

 昨年から始めた週2回のバレエレッスンはずっと続けている。バレエで習ったことを毎回かなりスケートに取り入れていたので、自分ではわかりにくいけれど、上半身の姿勢、首筋の伸びなどが変わったと言われるようになった。僕自身は、もっと上半身が柔らかく使えればもっとパフォーマンスが上がるのに…というのが今の課題。

 バレエは、硬い筋肉がついている試合シーズン中よりもオフシーズンの方が体の感覚がとらえやすいので楽しい。と言っても僕は全然まだ美しくないし、できなさすぎて笑える。バレエのステップを見ているとできそうかなと思えるのに、実際にやってみると何がどう動いているのかさっぱりわからない。なので、バレエレッスンはステップアップできずに、いまだに基礎練習のくり返し(笑)。


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 ■ニコライの加入

 今季からニコライ・モロゾフがスタッフに加わり、彼とは4年ぶりに組むことになった。4年間一切話をしていなかったので、突然の彼からのオファーにはとても驚いたけど、僕はニコライが嫌いで別れたわけではないし、ソチ五輪に向けてはコーチと限らずにロシア人でサポートしてくれる人がいたらいいなと漠然と思っていたので、たまたまそんなタイミングと重なった。

 バンクーバー五輪のときは僕も意地があって外国人コーチは考えなかったけれど、今はそんな意地や外聞より、大事なのはソチ五輪を目指すに当たって自分が何をしたいのか、やりやすい状況をどう作るのかということ。そして最終的には、僕が自分のやるべきことをきちんとしなければ話にならない。スタッフはその上でのプラスアルファ。そう考えたら、過去のことやメリットかデメリットかはどうでもいいささいなことと思えて、3カ月間悩んだ末、結論を出した。

 ニコライの練習法は参考になるけれど、以前のように依存はしないし、当時と同じ関係性を再現したいとか、ニコライに具体的な必要性を求めている感覚とは違う。僕自身4年前とは変わっているし、ニコライがどんなふうに変わっているかわからないから、正直、どんな効果があるかはやってみなければわからない。何も得られないかもしれないし、なんだこんなものか、と僕が見限られるかもしれない、お互いを試す勝負でもある。ニコライの下には他の選手もいる。昔の僕はそれがリアルにイヤだったけれど、今はむしろ、そんな厳しさの中で練習することが自分にとっていい経験になると思っている。

 ■ハードプログラム

 今季の振り付けはショートは阿部奈々美先生、フリーはシェーリーン・ボーンにお願いをした。ショートは1960年代ロカビリーでかなりハードな鬼プログラム(笑)。意外と僕は今まで滑ったことがない曲調で、同じアップテンポでもマンボのようなコッテリ感ではなくカラッと男っぽい雰囲気は苦手だけど(笑)、今度のフレンズオンアイスで滑る予定。シェーリーンは一昨年のマンボに続き2回目で、彼女の作るプログラムはパワフルな印象がある。フリーの曲はいろいろとシェーリーンと相談中。

 ソチ五輪まであと2シーズンをどう見せて行くか…現役中の競技プログラムはあと4つ(ショートとフリーの各2シーズン)と思うと悩ましいけれど、考えすぎずに流れに身を任せようと思う。(構成:フリーライター かしわぎ なおこ/撮影:フォトグラファー 渡辺真一/SANKEI EXPRESS)

 ■たかはし・だいすけ 1986年3月16日、岡山県倉敷市生まれ。A型。関西大学大学院所属。2002年世界ジュニア選手権優勝(日本人男子初)。07年世界選手権2位、10年優勝(日本人男子初)。10年バンクーバーオリンピック銅メダル(日本人男子最高位)。05~07年と09、11年全日本選手権優勝。08、11年四大陸選手権優勝。08年ISU歴代最高得点(当時)264.41点を記録、08~09シーズンは負傷により全試合欠場。11~12シーズンはNHK杯優勝、グランプリファイナル2位、全日本選手権優勝、四大陸選手権2位、世界選手権2位、世界国別対抗戦優勝、SPでのISU歴代最高得点(94.00)を記録。

w ww.kansai-u.ac.jp/sports/message/takaha shi/

(2012.8.21 16:03 産経ニュース)
(文中のアンダーラインと色分けは管理人による)

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高橋大輔 ソチ金に向け指導陣に再びモロゾフ氏 【動画】

高橋大輔 ソチ金に向け指導陣に再びモロゾフ氏

 フィギュアスケート男子のエース、高橋大輔(26)=関大大学院=が15日、新シーズンの指導スタッフにかつて師事したニコライ・モロゾフ氏を迎えると発表した。長光歌子コーチの指導も引き続き受ける。

 銀メダルを獲得した3月の世界選手権前にモロゾフ氏から申し出があり、最近になって決断したという。新横浜スケートセンターでアイスショーに出演後、高橋は「あと2年しかない(ソチ冬季)五輪に向けて力になってくれる。メダルに向けて同じ方向性でプラスになればいい」と話した。

 08年春にライバルの織田信成(関大大学院)がモロゾフ氏の門下生となったことで、一度はコンビを解消しており、同席したモロゾフ氏は「(当時のことは)申し訳なかった。唯一、彼が取っていない五輪の金メダルを取らせたい」と話した。

[スポニチ 2012年6月15日 23:10 ]


フィギュア高橋大輔、モロゾフ氏に再び師事

 フィギュアスケート男子のバンクーバー冬季五輪銅メダリスト、高橋大輔(関大大学院)は15日、ニコライ・モロゾフ氏を再びコーチとして迎えることを明らかにした。高橋はモロゾフ氏の指導を受けていた2007年世界選手権で銀メダルを獲得したが、モロゾフ氏が別の日本選手を指導することになり、翌08年に師弟関係を解消していた。

 高橋は横浜市でのアイスショーの後、モロゾフ氏とともに報道陣の取材に応じた。今年3月の世界選手権前にモロゾフ氏から申し出があったといい、「悩んだが、ソチ五輪へ向けてより厳しい環境に身を置こうと思い決めた」と語った。モロゾフ氏は「4年前のことは申し訳なく思っていた。彼はフィギュア史に残る選手。自分の全てを注いで、彼の五輪メダル獲得に協力したい」と話した。

(朝日新聞 2012年6月15日23時19分)


フィギュア高橋とモロゾフ氏コンビ再結成

 今年のフィギュアスケート男子で世界選手権銀メダリストの高橋大輔(26=関大大学院)が新シーズンから、以前師事していたニコライ・モロゾフ氏とコンビを再結成することになった。15日、新横浜で行われたアイスショー後に明かした。アドバイザーとしてコーチの一員に迎えるという。

 世界選手権前にモロゾフ氏から打診を受け、悩んだ末に再結成を決めた高橋は「ソチ五輪に向けてあと2年しかない。すごく悩んだが、五輪に向けていいアドバイスをくれるんじゃないかと思い、組みました」と話した。モロゾフ氏は「大輔は、私の教え子の中で、もっともお気に入りの選手だった。大変申し訳ない形で別れたが、心残りがあった」と明かし「以前は偉大なスケーターの1人だったが、今は記憶に残る選手になった。私も向上していかないと、とても太刀打ちできない」と高く評価した。

 2人は07-08年シーズンまでコンビを組んでいたが、モロゾフ氏が織田信成ともコーチ契約を結んだため、08年5月に“けんか別れ”した形でコンビを解消していた。

 [日刊スポーツ.com 2012年6月15日22時51分]





予想外のニュースでした゜゜ ( □ )ポーン
以前の師弟関係解消の理由が双方で食い違ってて、それは円満解消でない以上、お互い自分目線で話すからままある事なんですが…。

モロゾフ氏は自身の著書でも大ちゃんとの離別について触れていましたが、モヤっとする書き方してるんですよねぇ…。
その上、ほんの2年前に、「信用できる日本人は美姫だけ、彼女以外の日本人はもうコーチしない」と複数のインタビューで吹聴していましたし…。



大ちゃんや美姫ちゃんの指導に言及してます


彼は本音をぶちまける風雲児の反面、コーチとして必要ならブラフまじりの駆け引きもする策士なので、決断が大胆ですね。
あんな風に別れたのにしれっと縁りを戻して、自分の立ち位置や主張まで巧妙に切り替える変わり身の早さには驚愕ですよ(*▽*)

モロゾフ氏は昨季から自分の教え子にロシア勢を抱え込んでいますが、評価の別れる彼らではオリンピック金メダルが難しいから、再び大ちゃんに接触したような気がしないでもありませんが…。

今回はアドバイザーとしての参加とあるので、コーチは引き続き歌子先生が勤めるのでしょうね。
ちょっぴり不安は残りますが、モロゾフ氏が優れた指導者兼振付師である事に異論はありません。
同じチームでやると決めた以上、ファンとしても気持ちを切り替えて、大ちゃんにはモロゾフ氏から貪欲に吸収してくる事を期待します。

そしてチーム大輔の皆さんは、したたかで鋼の心臓を持つモロゾフ相手に同じ鉄を踏まないよう、逞しくしなやかに付き合って欲しいですね。
新生チーム大輔に期待しましょう★o(*^▽^*)o

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高橋大輔 TOKIO「5LDK」出演で憧れの人と初対面 【動画】

高橋大輔選手が、アイドルグループTOKIOのバラエティ番組「5LDK」に出演した動画です。
2種類の食べ物を実食して真贋を見抜けるかどうかを競う内容で、雑談しながらまったり進行しています。

その中で、大ちゃんが中二から好きと言い続けていた女性タレントと初対面を果たしています。
これまでのテレビ出演時でも何度も好きとアピールしてたので、てっきりすでにお会いしてるものだと思ってましたが、これが初対面とは意外でした。
憧れの女性との対面に大ちゃんはニコニコしてますし、お相手の女性タレントもご満悦ですが、直前にアッコちゃんから「女性の趣味が変わってる」とタレコミが入ってるんですよね(^^;

2012年6月 日、フジテレビ系列にて放送されました。

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高橋大輔 「明日への一歩」~ケガから復活、五輪秘話 【動画】

高橋大輔「明日への一歩」~ケガから復活、五輪秘話

 バンクーバー五輪フィギュアスケート銅メダリストの高橋大輔選手(25、関大大学院)を招いて12日、「ステップ、ステップ、ステップ~明日への一歩」と題した電子版スポーツセミナーが東京・八重洲で開かれた。トークショーではケガからの復活劇や五輪秘話など、山あり谷あり、決してエリート街道ではないスケート人生をユーモアたっぷりに語った。
(聞き手、電子報道部・原真子)


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全日本選手権のフリー演技。2年ぶり5度目の優勝を果たした


■4回転―3回転は自分でもびっくり

 司会 昨年12月の全日本選手権ではショートプログラム(SP)で4回転―3回転の連続ジャンプを決めて優勝。今季は好調ですね。

 高橋 4回転―3回転は僕がびっくり。(周りの選手がすごくて)やらざるを得ないというか、心に火がついたというか、半信半疑でするのはいけないのですが、奇跡的に成功しました。

 これで去年の運をすべて使ってしまって、フリーまでは続かなかった感じ(ミスが重なり、フリー自体の得点は3位)。でも、今季は怠けて失敗しているのでなく、自分なりに考えてやっている中での失敗なので、すべてに意味があると思っています。

 司会 それでは現在に至るまでのスケート人生、まずは始めたころから教えて下さい。

 高橋 兄が3人いまして、何かで表彰状をもらってきたときに、僕もほしいと駄々をこねたらしいんです。それで僕にもスポーツをやらせようとなった。ただ兄がしていた格闘技や球技には興味を示さなかったので、近所のスケート好きな方の勧めで始めたんです。

 始めて1カ月で試合に出たのですが、4人中4番目。「そりすべり」という曲で滑って、最後のスピンでこけてボロボロでしたね。

■小さいころは特段うまいわけではなかった

 司会 その後、初めて出たノービス(9~13歳)の全国大会で上位に入るんですね。

 高橋 5位かな? 田舎の子って感じだったと思う。特に踊れるわけでも、うまいわけでもなかった。今の同年代の子の方が、断然うまいですよ。

 人前で踊るのは、恥ずかしくはなかったですね。ただ、周囲に「(踊りが)うまくない」「姿勢が悪い」って言われ続けていたので、それが嫌で「僕は(もっと)踊りがうまくなりたいんだ」って思いはすごいありました。

 当時のコーチは踊りについて(どちらかといえば)疎い方だったので、フラストレーションがたまって、中学に入ってから離れるんです。

司会 そして今も教わっている長光歌子コーチに出会いました。

 高橋 お互い仙台で合宿しているときに、偶然会ったんです。(そのときに)振り付けをしてもらい、「いいよ、いいよ」って調子に乗せてくれて、とても楽しかったことを覚えています。

 (実家のある岡山県倉敷市から)長光先生のいる大阪は通えることもあって、週末に教わるようになったんです。平日は1人で自主練だったので、週末がとても貴重で、いっぱい教えてもらえる喜びを感じていました。


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バンクーバー五輪の練習で長光歌子コーチと(2010年2月)


■世界ジュニアを制してからがつらかった

 司会 「周りを見すぎる子」だったとか。それは目立つことが大切なフィギュア競技ではマイナスだったのでは?

 高橋 地元でお世話になっていた方から、「田舎者なんだから、ちゃんと周りを見て気を使ってやりなさい。出しゃばるんじゃないよ」って言われていたんです。

 見たくないものが見えすぎて、(そうしたことが)邪魔になったことはあります。でも、いろんな方の様子を観察してから接することで、良かった面もあります。気づかないうちに役立っている部分はあると思います。

 司会 高校1年で世界ジュニアを日本男子で初めて制しました。

 高橋 「何番になれるかな」って、なんの構えもなく出たら、ポンと1位になれました。でも、翌シーズン、シニアに上がってからがつらかった。意識がついていっていませんでした。

 今の日本人選手はメンタルも強いし、自分というものを持っていて、目標をきっちり定めています。僕はそういうものが全くなく、ぬるい環境で育ってきていたので、最初の衝撃は大きかったですね。


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シニアに上がった当時、「意識がついていっておらず、つらかった」と語る


 当時は4回転ジャンプ時代で、最低でも2度跳ばないとメダルに届かなかったし、全く蓄積のない選手がポンと出てもなかなか勝てない。試合前から「もう無理」っていう感じで完全に引いていて、そこからはい上がるのが大変でした。

 「(もし当時の自分に声をかけることができるなら)もうちょっと頑張れよ」って言いたいですね。でも、もし早い時期からガンガンやっていたら、つぶれていたかもしれません。遠回りでも、いろんな経験ができたのは良かったと思います。

 司会 そのころカナダ、米国、ロシアに練習に行っています。いろんなことを教わりすぎて、混乱はしませんでしたか?

 高橋 とりあえず言われたことはすべてやってみて、(自分に)合わなければやめる。昔からいろんな人に習ってきたので、そういう選択はできるんです。いろんな意見があるけれど、全部できるわけはありません。自分で調整しないといけません。

今振り返ると、僕がいた当時、岡山のリンクはプロのコーチが少なくて自主練が多かったことが、かえって良かったのかもしれません。

 今の子は教えてもらわないと分からない子が多いかもしれません。フィギュア人気だから、リンクでなかなか自由に滑れないし……。僕のころはリンクもスカスカで、いつでも滑れた。遊びの中で覚えていけたのが良かったと思います。


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子供のころ、「遊びの中で覚えていけたのが良かったと思う」と語る


■五輪出場枠を1しか取れず、がぜん燃えた

 ただ高校3年のときに、特にロシアで過ごした5カ月間はきつかった。長光コーチも一緒でしたが、お金もなかったので、設備も不十分なホテルで2人1部屋。コインランドリーを見つけらず、洗濯も手洗いだったこともありました。冬物だから重くて、昔の人の大変さが身に染みました。

 司会 2005年の世界選手権は15位。トリノ五輪の日本の出場枠を1つしか獲得できませんでした。

 高橋 周囲にはすごく悪かったのですが、僕にとっては良かったです。僕、レアものが好きなので、1人しか五輪に行けないとなって、がぜん「オレは絶対に行きたい」という気持ちになりました(笑)。それまでそういうことがない選手でしたから。

■緊張しないと、いい演技はできない

 司会 ニコライ・モロゾフコーチに出会ったのもそのころですね。

 高橋 ニコライは僕に自信を持たせてくれました。しつこいくらい「意識が低い。(もっと上を見て)」「お前はできるんだ」って言ってくれました。僕は状況を見て「自分の立ち位置はここ」と勝手に判断してしまうタイプだったので、救われました。

 司会 「瓦解」としか表現しようがないほど、試合で崩れてしまう選手だったのに、トリノ五輪の後、そうしたことはなくなりましたね。

 高橋 緊張しないと、いい演技はできません。以前は試合の緊張感に勝つだけの準備ができていなかったと思います。体に染み込ませるほど練習して、自信をつけて……。そうすることで、本番で緊張感をうまく使えるようになったんだと思います。

 ニコライがいろんなパターンの練習をさせてくれたので、毎日飽きませんでした。日本のリンク環境では、そういう練習はなかなかできません。米国で濃い練習を毎日こなせたのも大きかったし、徐々に結果もついてきました。

 司会 07年の世界選手権で日本人初の銀メダル。でも08年は4位。モロゾフコーチからも離れます。

 高橋 ニコライにすべて任せ切っていたので、困りました。これから自分ですべて決めていかなければならないのに、迷いがあって、自分の言葉に責任がなかなか持てなくて、大変でしたね。


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リハビリの写真を見ながら、「単純作業だったのでつらかった」と振り返る


 22歳、ちょうど(一般的には大学を卒業して)社会人になる年齢だったし、いろんな面でメンタル的に最悪だったんです。ようやくやる気が出てきた08年秋、右ヒザ靱帯を断裂してしまいました。

■単純作業が続くリハビリ、つらかった

 司会 同じ大学の織田信成選手が入れ替わるように、モロゾフコーチについて……。気になりませんでしたか?

 高橋 織田選手が自分で決めたことだし、みんなトップを目指していて、習いたいコーチに習うのは当たり前。それはストレスではなかったですね。

 それより手術後のリハビリがストレスでした。五輪のために、病院が時間を多く割いてくれて、そのありがたさは分かっていても、もう単純作業がエンドレスに続くんで……。(リハビリ映像を見て)金髪。精神的に荒れているときに、僕は金髪になるみたいです(笑)。今じゃ、考えられないですね。

 司会 つらいリハビリから何を得ましたか?

 高橋 自分の体を知る大事さですね。逆に頭で考え過ぎて、ケガの後、大変でしたけれど。それまで感覚でやってきた人間だから、慣れるのに2、3年かかりました。

 今は体が動くメカニズムが分かるので、トレーニング効果も一層あがるようになったと思います。ケガの前は、(体が動くので)調子の良さを維持しようという感じでしたけれど……。

 司会 リハビリ中も「目標は金メダル」と言い続ける一方で、「現実は厳しいかな」とも漏らしていましたね。


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世界選手権の代表に決まり、羽生結弦選手(左)らと笑顔で談笑(11年12月)


 高橋 (見えを張ろうにも)取り繕えないくらい焦っていました。復活劇は絶対に成し遂げたいって思ってはいましたが、自分で自分の状況は一番分かりますから。

 ジャンプ勘がまったくなくなってしまったので、ケガをした後、最初にジャンプを跳んだときは「絶対無理」って思いました。五輪に行くのがやっとかって。

 試合でも成績が出ない上に、いい演技もできない。公式練習でも、僕だけジャンプが跳べなかったりして……。今までそんな心配はしたことがなかったから、情けなくて、恥ずかしくて、みっともなくて……。自信を持てずに大変でした。

 よく長光コーチらとケンカしました。原因は僕の八つ当たり。トレーナーには携帯を投げちゃったことも……。トレーニングより、心のケアのための時間の方が多かったと思います。


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バンクーバー五輪でフリーを終えてガッツポーズ。日本男子で初となる銅メダルを獲得

■五輪の表彰台はすごく幸せだった

 司会 やっぱり五輪は特別ですか?

 高橋 4年に1度の特別な舞台に合わせる難しさを選手が一番知っているじゃないですか。周囲の人、応援してくれる方の気持ちの入り方も違うし。そういった中で作られる空気感が(他の大会とは)全然違いますね。

 (五輪のフリー演技の映像を見て)体が細すぎ。最後のステップは興奮しすぎて、音が聞こえていませんでした。実はフリーの演技前、泣きそうだったんですよ。今更ながら「ここ(五輪の舞台)に居られるんだ」って、感慨にふけちゃった。

 司会 五輪のメダルは世界選手権のメダルとは違いますか?

 高橋 メダルより表彰台が違います。すごい幸せ。この言葉が一番しっくりくる。このうれしさは言葉で表現したくてもできないです。

 司会 五輪の1カ月後に開かれた世界選手権では優勝しました。でも、翌シーズンは集中しきれなかったようです。

 高橋 「何でオレが一番になるんだろう」という演技で優勝してしまったこともありましたし、練習でも「ぜんぜんこの選手に勝ててない」というのが多くて、きつかったです。

 そこに東日本大震災。(予定されていた)世界選手権が本当に開催されるか分からない状況で、「気持ちが持たない」と思って少し休みました。その間、チャリティーショーをしました。(チャリティーショーは)今年も、その先も続けていきたいです。


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昨年の世界選手権で5位に終わり、「どうせボロボロなら、納得いくまでやりきろう」と思い、ソチ五輪までの現役続行を宣言

■「みんな離れていく」と思って現役続行宣言

 司会 (日本での開催を断念してロシアで1カ月遅れで行われた)世界選手権ではフリー演技中、スケート靴にブレードを留めるビスが抜けてしまって5位。終わった瞬間、(14年の)ソチ五輪までの現役続行を宣言しました。

 高橋 言っちゃいましたね。「あっ、みんな離れていく」って思ってしまったんです。あの瞬間、「それは嫌だ」と思ったら、(現役続行宣言が)口から出ていました。

 昨季はずっと現役を続けるべきか否か迷っていました。僕は「美しく去りたい」って思っていた人間なんですけれど、世界選手権でボロクソに負けて、逆にすっきりしました。「これでバンクーバー五輪までの成績はすべて消えた。どうせボロボロなら、納得いくまでやりきろう」って。

司会 基礎であるスケーティングを見直し、バレエを始めました。

 高橋 「五輪までの3年間で成長できるものは?」と考えたらスケーティングでした。ケガをしてからスケーティングが窮屈で、一歩踏み出すにもフラストレーションがあったけれど、今はありません。滑ることがこんなに気持ち良かったんだって気づきました。


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「今は気持ち的に前向きで、22歳のころより若い気がする」と語る


■22歳のころより若い気がする

 今は気持ち的に前向きで、22歳のころより若い気がします。ソチ五輪という最後の目標が見えると、時間がなく感じるのか、考え方がぶれないです。

 毎日、家とリンク往復の生活だけれど、ストレスがたまらないんですよ。以前は友達に食事に誘われると絶対に行っていたけれど、今は練習があるし、しんどいし、ストレッチをしたいからあまり行きません。

 ストレッチを始めたら体が元気で、しないと逆に疲れる気がします。硬い体が少しずつ変わってきているのに、(休んでしまう日があると)もったいなくて。

 もちろん遊ぶし、遊びも好きだけれど、今はストイックな生活の方が楽しいですね。25歳、(そのことに)気づくまでが長かったですが……。

 不思議とマンネリ感もないんですよ。毎日少しずつ「気づき」があります。最近、iPadで自分が練習している映像を撮るんです。そうするとできていない部分が分かったりしてね。

 司会 かつては映像とか鏡を見ない選手でしたよね。

 高橋 大嫌いでした。自分の汚さにうんざりするから。試合の映像もこれまでは自分の演技しか見ませんでしたが、今ではほかの選手の演技も見ます。「あ、こんな風にやるんだ」とか、新たな発見があって楽しいですね。今更ながら、スケートマニアみたいです。


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全日本選手権のエキシビションで浅田真央選手(右)と=共同


■観客との“対話”を大切に

 司会 高橋選手と言えば表現力。どうやって身につけているんですか?

 高橋 身につけるというより、僕は観客との“対話(意識の通じ合い)”を大事にしています。

 演技が「きれい」だから見るっていうことは確かにあると思います。でも、きれいじゃなくても惹(ひ)かれるっていうことがあるじゃないですか。心をわしづかみにするというか……。

 滑っていて、「あ、今日はきた」っていう日があるんです。このポイントで(観客と)目が合うんだ、とか。逆に、パッと目があっても、一瞬、視線がそれてしまうこともあります。偶然まばたきが合わないだけでも、「これはダメだな」と。


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「将来もスケートと共に生活していきたい」と夢を語る


■よく「ナルシシスト」っていわれるが…

 司会 演技中、「オレってカッコイイ」とか思ってないんですよね。

 高橋 よくナルシシストっていわれるんですけれど、僕は違うと思いますよ。コンプレックスの塊。服が好きですけれど、自分に自信がないから着飾るという面もあるし、鏡で自分の姿をよく見るのも、「良くない点がないか」チェックするため。

 お客さんがワーって盛り上がると、うれしくなって演技する面はありますが、演技に浸ってないし、浸っちゃダメだと思います。常にお客さんの反応を見ています。今季でいえば、全日本では(お客さんと)距離感を感じたけれど、NHK杯やグランプリファイナルは通じ合えたと思う。勝手な思い込みかもしれませんが。

 司会 どのように観戦してほしいですか?

 高橋 (みなさんが)好きなように楽しんでいただければと思います。音楽でも、ジャンプでも、滑りでも。どんなものでもライブはいいものですから。会場では空気感というか、日常生活ではあまり聞く機会のない氷を滑る音などを楽しんでください。

 司会 転倒が失敗という以外、ルールが分からないという方は多い。

 高橋 それでいいと思います。それから少しずつ詳しくなっていけば、違う見方もできるようになってくると思います。僕自身、まったくフィギュアを知らない人が「よかった」と言ってくれると、すごく自信になります。詳しくなりすぎると、いろんなものが見えすぎて、パッとした(全体の)印象が見えなくなるときってありますから。


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トークショーには大勢のファンが詰めかけた


■ソチまでは限界を決めず、自分の可能性を信じて

 司会 最後にソチ五輪と、1人の人間としての目標を教えて下さい。

 高橋 ソチまでは限界を決めず、自分の可能性を信じてやっていきたいと思います。金メダルをとれるかどうかは、その状況にならないと分からないですが、十分やりきったと思える生活をして(五輪に)臨みたい。

 ずっとスケートに携わってきたから、将来もスケートと共に生活していきたいと思います。日本はリンクの数が少なくて、混んでいます。リンクがあっても、自由に使えないこともあります。北米のように、ここがダメならあっちへ行って練習しよう、という環境にはありません。

 本当にスケートをしたい人に、場所を提供できるような環境づくりに携われればいいと思います。現実は厳しくて、目標というか、もう夢ですね。でも、夢だった五輪のメダルも実現したので、こちらの夢も皆さん、ぜひともご協力お願いいたします。

(トークショーの一部を編集、再構成したものです)
(日経新聞 2012/1/26 7:00)




読み応えのあるインタビューでした(っ´∀`c)マンプク
大ちゃんにスケートを勧めたのって、お母さんの勤めていた理容室の娘の英子さんですよね。
お母さんと一緒に衣装作りに携わったり、リンクに付き添ったりと、今の大ちゃんの土台を作った恩人ですね。

確か大ちゃんって、「フィギュアを始めたのはお姉さん(英子さん)を喜ばせたいのもあったと思う」という内容の事を、以前話していましたよね。
全国の大輔ファンが羨望のため息をもらしそうな言葉ですね(^m^)

-話を対談に戻します。

この対談で強く納得したのは、表現力についての言及で、「僕は観客との“対話(意識の通じ合い)”を大事にしています」という姿勢です(☆ω☆)
表現方法は色々ありますが、大ちゃんの演技って、観客を自分の舞台に引き込んで、それを自分の演技の一部とし、また次のステージに進んでいくようなスタイルだと感じていたんです。
あのぐいぐい引き込まれる感は、大ちゃんもそのつもりで演じてたのねと、胸にストンと落ちました。

そして、「みんなが離れていくのが嫌だった」っていうのは、氷上でのイロオトコぶりが別人のような甘えん坊キャラですね。
普通なら本心はそうだとしても、現役の間の取材では便宜上もっと取り繕った言い方をしそうなトコロですが、やたら正直ですね。
もちろん、ファンはそんなトコロも含めて好きですよ(╹◡╹)にこ!

フィギュアは人気があるだけに、不慣れなインタビュアーを相手に選手が伸び伸びと話せなくなくなっている対談も目立ちますが、こういう一歩踏み込んだ対談は興味深いですね。

世界選手権でも、大ちゃんの対話型演技に酔いしれるのが楽しみです♪(´∀`人*)

続きを読むに、1時間27分16秒に及ぶロングインタビューの動画です。

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高橋大輔を指導する、フィギュアの振付師・宮本賢二に密着 【動画】

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高橋大輔選手らを手がける、人気振付師のミヤケンこと宮本賢二さんに密着した、「バース・デイ」の動画です。

1つ目の動画では、主に大ちゃんとのエピソード。

「選手の個性を引き出す、独特の演出」として、大ちゃんのSP「eye」が取り上げられています。
色男ぶりが冴え渡るこのプログラム、管理人も大好きです❤(´∀`人*)
世界一のステップを余すところなく詰め込んだ見所満載の演技で、「誰も真似できないようにつくった」の目論見は大成功してますよね(^^)

ミヤケン振付と言えば、あっこちゃんの「リベルタンゴ」も瞠目したものです(☆ω☆)
あっこちゃんの情熱的な演技がぴったりで、ファンからの評価も高かったですよね。


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2つ目の動画では、期待の若手選手の庄司理沙選手が中心です。

リンク上で選手の動きを見ながら、一緒に振付を作っていく過程が収められています。
演技冒頭の10秒の振付の為に、4時間付きっきりで練習しているのが印象的。
90分ある映画でも最初の数十秒で観客の気持ちの入り方が決まってしまうそうですから、SP3分・FS5分のフィギュアではなおさら出だしが肝なんでしょうね。

他にも、衣装をラフ画で提案したりとか、振付師の仕事の進め方が見られて興味深いです。
ファンが普段目にするのはすでに完成されたプログラムですが、そこに到るまでの舞台裏を垣間見られると嬉しいです。
これからもっとこいった特集がくまれると良いな(∩^ω^∩)

2012年1月21日、TBS系列にて放送されました。



■オリンピック・メダリスト、高橋大輔を指導する、フィギュアの振付師に密着。

去年・夏、バンクーバーオリンピック銅メダリスト・高橋大輔は、今シーズンに行なうプログラム作りに余念がなかった。
練習中、高橋は一緒に滑っている1人の男性の動きを常に追っていた。
彼は、高橋のコーチではない。肩書きは振付師。宮本賢二33歳。

今シーズン、エキシビジョンですべる演技の振り付けを高橋に覚えこませている。
フィギアの振付師とは、演技の振り付けを考え選手の芸術性を指導するのが主な仕事。
宮本は振り付けだけを行なう、日本では珍しい専業の振付師。
彼の振り付けの特徴、それは選手の個性を最大限に引き出し、大胆に振り付けすること。

彼の名を世界に知らしめたのは、2010年、バンクーバーオリンピック。
銅メダルを獲得した高橋大輔のショートプログラム、「eye」。
宮本が作ったステップの華麗さに、会場は酔いしれた。

宮本は、高橋の他にも、名だたる日本のトップスケーターたちの振り付けを行なっている。
安藤美姫のエキシビジョンの代表作「ボレロ」。
彼女の持つ、セクシーさを更に強調すべく、足をがに股に開かせるなど、生生しいセクシーさを表現。
綺麗な滑りが定評の安藤の形をあえて崩すことで大人の女性を演出した。
これまで、ジャンプなどの技術力に重点が置かれがちだった日本のフィギア界の中で宮本は表現力を引き出せる稀有な存在の振付師なのだ。

宮本は、振付師になって今年で7年目、まだこの世界では若いとされる存在だが、すでに50人の選手の振り付けを担当している。

そしてフィギュアスケート、シーズン開幕の4ヶ月前、宮本は中学生の庄司理紗の振り付けを行なうためにリンクを訪れた。
庄司は、15歳ながら、将来のオリンピックメダリストとして、大きな期待を寄せられているジュニアの選手。
そして宮本独自の振り付け指導が始まった。

(番組HPより抜粋)

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