浅田真央と水蜜桃

 浅田真央選手・高橋大輔選手を中心に、
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浅田真央 母の死乗り越え決戦の舞台へ 異例の記者会見【動画】

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真央 笑顔戻った!母の死乗り越え決戦の舞台へ

 悲劇を乗り越えて、真央が決戦の舞台に戻ってきた。フィギュアスケートの世界選手権代表選考会を兼ねた全日本選手権は23日、大阪・なみはやドームで開幕する。9日に母・匡子(きょうこ)さん(享年48)が死去した浅田真央(21=中京大)は22日、24日の女子ショートプログラム(SP)に向けて会場で練習を行った。会見では笑顔も見せた浅田は、好演技を誓った。

 笑みを浮かべながら、リンクに帰ってきた。匡子さんが亡くなってから初めて、13日ぶりに公の場に姿を見せた浅田は、会場入りの際、報道陣に向かって、にこやかにあいさつした。そして、30分間の練習では、いつも通りの滑りを披露した。

 ジャンプにも挑んだ。うまく回転できない場面もあったが、大技のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)も何とか着氷できた。開会式後の会見では「体の動きは全然、悪くなかった。一番の目標は、ミスなく自分の今できる全てを出すこと」と意気込みを語った。

 匡子さんの容体が急変したことを受け、GPファイナル出場のため滞在していたカナダから緊急帰国したのが9日。名古屋市内の病院で、既に亡くなっていた母と無言の対面をした。ショックはあったが、スケート人生を支えてくれた匡子さんのためにもリンクに立つと決意。告別式が行われた12日に文書で全日本選手権出場を表明した。佐藤信夫コーチには「心の準備ができたので頑張ります」と電話で伝えた。

 翌13日には中京大で練習を再開し、この1週間は通常メニューを消化してきた。関係者は「見ている限り、落ち込んでいるとかふさぎ込んでいる感じはなかった」と証言した。浅田自身も会見で「欠場することは思っていませんでした」と毅然(きぜん)と答えた。

 周囲にはピリピリした空気が漂っていた。浅田は他の選手とは違う出入り口を利用。会見も日本スケート連盟が事前に質問をまとめ、代表質問に浅田が答える異例の形で行われた。浅田に関する質問を受けた男子の小塚は「それは後にしてください」と険しい表情を浮かべた。日本連盟は「浅田以外の選手への質問も競技に関することのみ」と通達を出していた。

 そんな中でも浅田は自然体だった。「“いつも通り”というのが今、大切にしている言葉です」と笑った。

 悲しみを胸に秘めて挑む氷上決戦。あす24日のSP、25日のフリーで全力を尽くす。匡子さんが試合会場に最後に姿を見せたのは、昨年の全日本選手権。あれから1年。「結果、得点、順位じゃない。今できる精いっぱいの演技をして、たくさんの人にいい演技を見てもらいたい」。天国で見守ってくれる最愛の母へ、最高の舞を届ける。

 ◆滑走順 男子SPは小塚が全体19番で第4グループの2番目、高橋が全体25番で最終第5グループの2番目、羽生が全体29番で第5グループの最終演技者。女子SPは村上が全体20番で第4グループの3番目、浅田が全体27番で最終第5グループの4番目、鈴木が全体29番で第5グループの最終演技者。

[ 2011年12月23日 06:00 スポニチ]





真央、笑顔で誓った!亡き母にV捧げる

 「フィギュア全日本選手権」(23日開幕、なみはやドーム)

 フィギュアスケートの浅田真央(21)=中京大=が22日、全日本選手権(23日開幕、大阪なみはやドーム)の公開練習に参加した。9日に母匡子さん(享年48)を肝硬変で亡くし、わずか2週間での公式戦復帰となるが、悲しみは胸に秘め、いつも通り練習をこなした。男子はグランプリ(GP)ファイナル2位の高橋大輔(関大大学院)や羽生結弦(宮城・東北高)、2連覇を狙う小塚崇彦(トヨタ自動車)が同じ組で調整した。

 最愛の母の死から2週間、真央が銀盤に帰ってきた。ローズピンクと黒の練習着で練習に登場した真央は、まずゆっくりと氷の感触を確かめると、順番にジャンプも練習。トリプルアクセルは一度だけの着氷にとどまったが、フリー曲「愛の夢」の曲がかかると、いつも通り感情のこもったスケーティングを披露し、不安を感じさせなかった。

 会見では母のことには触れず「ファイナルから帰ってきた時はとても忙しく、試合を考える余裕はなかった。でも落ち着いて考えた時に、もう試合まで1週間しかない、練習しないとって思った。欠場は考えなかった」と、気丈に話した。

 悲しくないはずはない。それでも、葬儀後に「生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべきことをしっかりやることが、お母さんも喜んでくれることだと思い、今まで通り練習に励みたい」と語ったように、葬儀翌日には練習を再開したという。その気丈な様子に、佐藤信夫コーチも「いつも通りの表情で、いつも通りの練習をしてくれた。本当に芯の強い子」と、目を細める。母の遺志をくみ、全日本選手権に向けて態勢を整えてきた。

 会場は、いつにも増して緊張感が漂った。GPファイナルとは一転し、他の選手に浅田に関する質問は禁止。会見も本人の心情に配慮され、事前に報道陣から集められた内容を、代表者1人が質問する形が取られた。そんな状況の中でも浅田は、いつも通り笑顔を交えながら対応した。

 23日の前日練習を経て、24日のSPに備える。「今年最後の試合になるし、いい演技で締めくくりたい。結果、得点、順位ではなく、精一杯の自分の演技をたくさんの人に見せられたら」。すべての思いは演技に込める。

(2011年12月23日 デイリースポーツオンライン)


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真央、母への言葉“封印”「今できる精いっぱいの演技見せる」


母の死を乗り越えリンクに戻った浅田、非公式練習に参加した

フィギュアスケートの全日本選手権は、来年3月の世界選手権(フランス)代表選考会を兼ねて23日、大阪・門真市なみはやドームで開幕する。9日に母・匡子(きょうこ)さんを肝硬変で亡くした女子の浅田真央(21)=中京大=は22日、会場で行われた非公式練習に参加し、開会式後に会見を行った。「今できる精いっぱいの演技をしたい」と母にささげる2年ぶり5度目の優勝を目指す。

 涙はなかった。真央は果敢に大技のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に挑んだ。5回は1回転半になったが、バランスを崩しながらも2回着氷。「体の動きは悪くなかった。日に日によくなっている」。悲しみを越え、力強く前に進む真央の姿があった。

 公の場に姿を見せるのは9日午後に成田空港に到着して以来。午後6時10分から30分間の練習が始まり、ピンク色のウエアで姿を見せた。フリーで使用する「愛の夢」を流してプログラムを通す練習では冒頭のジャンプを2回転半で着氷したが、練習の中盤では積極的に3回転半に挑戦。3―2―2回転など約40回もジャンプを跳んだ。


 練習後は匡子さんの死去から初めて会見に臨んだ。「お母様にご不幸があった中で全日本出場を決断した理由は」と問われると、「(GPファイナルからすぐ帰ってきて、とても忙しくて試合を考える余裕がなかった」と、母の死を口に出さずに振り返った。

 全日本出場を選択した心境について「落ち着いて考えた時、試合まで1週間しかないと最初に(頭に)入ってきた。練習しないと、と思った。欠場することは考えなかった」と強い意志を明かした。

 葬儀翌日の13日から愛知・豊田市の中京大で練習を再開し、数日後に佐藤信夫コーチ(69)も合流。家族からは「頑張ってるから頑張らなくてもいい」と言われたが、「いつも通りを大切にしたい」と毎日約3時間半の練習をこなした。

 今大会で表彰台に上がれば世界選手権代表に大きく前進する。「目標はミスなく自分のすべてを出し切ること」と真央。天国で見守る母への思いを胸に24日のショートプログラムに挑む。

 ◆真央の全日本までの道のり
▽6日 GPファイナル開催地のカナダ・ケベックに到着。
▽7日 会場で公式練習に参加。
▽8日 名古屋市内で母・匡子さんの容体が急変。真央はケベックで8日早朝に連絡を受け、佐藤コーチと帰途に就く。
▽9日 早朝に匡子さんが死去。真央は9日午後に成田空港に帰国し、名古屋市内の病院に直行。
▽10日 父・敏治さん(53)が「舞も真央も、今は気丈にしています」とコメントを発表。
▽11日 名古屋市内の自宅で近親者のみの通夜が営まれる。
▽12日 自宅で葬儀を行い、真央は「お母さんに今までより近くで見守られている気がします」とコメントを発表。全日本出場も表明。

 ◆世界選手権(来年3月26日~4月1日、フランス・ニース)代表選考 日本の出場枠は男女ともに3。〈1〉GPシリーズのランキングの日本勢上位3人〈2〉全日本選手権の上位3人〈3〉全日本終了時点の世界ランキングの日本勢上位3人―のいずれかを満たす選手の中から日本連盟が総合的に判断して決め、25日の女子フリー後に発表。女子は真央、鈴木、村上、男子は高橋、羽生、小塚が現時点で基準を満たしている。

(2011年12月23日06時02分 スポーツ報知)


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真央「いつも通り」笑顔で氷上へ

 フィギュアスケートの全日本選手権は23日、大阪・なみはやドームで開幕する。22日は開会式が会場で行われ、9日に最愛の母・匡子(きょうこ)さんを48歳の若さで亡くしたばかりの浅田真央(21)=中京大=も出席。記者会見では「いつも通りが今一番大切な言葉」と気丈に話した。女子は24日にショートプログラム(SP)、25日にフリーを行う。

涙は見せなかった。会場で30分の練習を終え、母の死後初めて公の場に姿を現した真央は、悲しみを胸の奥にしまいこんで会見に臨んだ。

 「体の動きは全然悪くなかったです。(周囲からは)『頑張ってね』とか『頑張っているから頑張らなくていい』と言われたけど、今は『いつも通り』という言葉を今一番大切にしています」

 気丈に振る舞う真央の表情には、時折笑みも浮かぶ。言葉通り、いつもの真央がそこにいた。

 9日早朝に匡子さんが肝硬変との闘病の末に死去。容体急変を聞いてグランプリ(GP)ファイナル出場をとりやめ、開催地ケベックから急きょ帰国したが、間に合わなかった。佐藤信夫コーチ(69)によれば、帰路で真央は涙を流し続けていたという。

 それでも、葬儀を済ませた12日には全日本選手権への出場を表明。翌13日には練習を再開した。

 「少し落ち着いて考えたら、もう試合まで1週間しかない。『あ、練習しないと』と思った。欠場は考えなかった」

 この日の練習では代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に何度も挑戦。やや乱れながらも何とか2本、着氷に成功した。11月のロシア杯では安全策のダブルアクセル(2回転半ジャンプ)を跳んで優勝につなげたが、今大会では「残りの練習で感覚を確かめてから決めたい」とし、大技挑戦の可能性は否定しなかった。

 2位で金メダルを逃したバンクーバー五輪のあと、悔しさで涙のとまらない真央に対し、匡子さんは「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていてはダメ」と諭したという。今もその言葉は心に残っている。「今できる精いっぱいの演技をして、たくさんの人によい演技を見せられるようにしたいです」。母の遺志を胸に秘め、真央が懸命に、華麗に氷上で舞う。 

(2011.12.23 05:05 サンスポ/伊藤昇)


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真央ちゃん、お母さんが亡くなった後、初めて公式の場所に顔を出しました。
記者会見ではどんな質問が飛び出すかと肝を冷やしていましたが、事前に質問をまとめる配慮がなされていたそうで、ほっと一安心ですε-(´Д`*)
真央ちゃん以外の選手への質問も、競技に関する事のみに限定されていたそうです。

ルールを破って真央ちゃんに関する質問を振ってきた記者に、崇ちゃんは毅然とした態度で対応してくれたそうです。
崇ちゃんは、以前にも空港で真央ちゃんに突撃取材をしてきた記者に、「事務所に止められてますから」と質問を遮り、ナイトの役目を務めてくれました。
頼れるお兄さんや(゜ーÅ) ジーン

今回の会見のルールを通達したのは、日本スケート連盟だそうです。

全日本選手権は、世界選手権への切符をかけた、熾烈を極める国内戦です。
邪推すれば、美姫ちゃん休養中の今季、真央ちゃんに全日本で良い演技をして世界選手権へ進出してもらわないと、世界選手権に出場する選手の力量が安定しなくなるのを心配したと考えられます。

今季の世界選手権の成績で、来季の出場枠が決まります。
2012-2013年の世界選手権の成績は、2014年のソチオリンピックの出場枠に大きく影響します。
現在日本は男女共に世界選手権出場で最高の3枠を確保しており、何としても維持したいのは想像に難くないでしょう。

とは言え、例え日本スケート連盟の配慮が下心によるものだとしても、それで真央ちゃんや出場する選手が傷つかずに済むなら、結果オーライです。
組織であるなら、毅然とした態度でしたたかにしなやかに、要領よく立ち回る処世も絶対に必要。

お母さんを亡くしてからまだ日の浅い真央ちゃんは、まだナイーブな時期だと思います。
日本スケート連盟やIMGは強くたくましく、周りの選手達は優しく温かく接してくれたら良いなと思います。

♪ 続き ♪


12月22日 スーパーニュース


12月22日 スーパーニュース


12月22日 NHKニュース7(Lch:日本語、Rch:英語)


12月22日報道ステーション


12月22日NHKニュースウォッチ9(Lch:日本語、Rch:英語)


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