浅田真央と水蜜桃

 浅田真央選手・高橋大輔選手を中心に、
 フィギュアスケートの動画を紹介するブログです。
 採点の疑問も記事にしています。
 

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GPファイナル 織田信成総合2位 オリンピック内定1番乗り【まとめ】

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織田信成が逆転五輪切符

 ◆フィギュアスケート GPファイナル第3日(5日、東京・代々木第一体育館) 男子はSP3位の織田信成(22)=関大=が2位に順位を上げ、初の五輪切符を獲得。SP首位の高橋大輔(23)=関大大学院=は5位に終わった。

 信成が一番乗りで、悲願の初五輪切符をつかんだ。「この4年間、五輪のことだけ考えてやってきた」。涙はなかったが、大きな口をさらに大きくして喜んだ。

 SP首位の高橋とは2・30点差。確実に代表を取るために“花よりも実を取る”守りの滑りで出撃した。冒頭の大技の4回転ジャンプは3回転に難易度を落としてきっちり点を稼いだ。だが、演技後半の2つの高得点ジャンプが失敗。「(高橋に)逆転したいという欲」がわき出て空回りした。試合後はリンク外のモニターで最終滑走の高橋の演技を凝視。結果的に勝ったが「満足できない試合内容だった」だけに複雑だった。

 「いろいろ学んで成長できた」。五輪ロードは号泣ばかり。18歳だった4年前。1つしかないトリノ五輪の代表枠を高橋と争い、負けた。採点ミスで王座まで明け渡し、その夜は母・憲子コーチといっしょに一晩中、泣いた。中でも「一番きつかったのは2年前」。07年7月に酒気帯び運転で検挙され、出場停止処分を受けた。涙ポロポロの謝罪会見も経験した。同じモロゾフ・コーチに師事する安藤と“苦労人同盟”も結成し「お互い慰め合ってきた」(安藤)。

 この2年間は、朝起きると、まず戦国武将のご先祖さま、織田信長の霊に向かって合掌するようになった。初の五輪に向け「絶対に4回転に挑戦したい。守りに入らず攻めの姿勢でいく」と誓った信成。天下統一への第一歩を踏み出した。
(2009年12月6日11時02分 スポーツ報知)

♪ 続き ♪

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織田、高橋を逆転!決めた初五輪

フィギュアスケート・GPファイナル最終日(5日、東京・国立代々木競技場)まずは、国内制圧! 男子ショートプログラム(SP)3位の織田信成(22)=関大=が、フリーで1つ順位を上げて計243.36点の2位、日本スケート連盟が定めた選考基準を満たして来年2月のバンクーバー五輪代表を決めた。織田は初の五輪代表。SP首位の高橋大輔(23)=関大大学院=はフリーで5位と乱れ、224.60点の5位に沈んだ。戦国武将の信長の末裔にあたる信成にとって、悲願の五輪切符。“天下統一”に向かって、出陣する。昨季世界選手権王者エバン・ライサチェク(24)=米国=が初優勝した。

 待つ身には、長い時間が過ぎていく。最終滑走の高橋が演技を終える。得点は、届かない。4番手で演技を終えていた織田が総合得点で上回り、2位が確定。土壇場でライバルを抜き、初の五輪切符を手にした。はしゃぐ様子はない。母・憲子コーチ(62)と抱き合い、静かに喜びを分かち合った。

 「逆転したいという欲があった。それがよくなかった。この演技では満足できない」

 SPを終え、首位高橋に2・30点差の3位。冒頭に予定していた4回転ジャンプを回避し、無難な構成を選択したが、中盤の3回転半、終盤の2回転半ジャンプが1回転半になるミスが出た。4分30秒のフリーは3位。高橋の失速にも助けられた。

 それでも、やっと悔しさを断ち切れる。05年末にはトリノ五輪の出場1枠を争った最終選考会の全日本選手権で、1度は表彰台の真ん中に立ちながら前代未聞の採点集計ミスが判明し、高橋が逆転優勝。信成は表彰台で大泣きした。

 07年7月にはミニバイクでの酒気帯び運転で検挙された。謹慎処分を受け、活動を自粛。シーズンを棒にふった。それ以降、酒には一滴も口をつけていない。好きな言葉は『ノーペイン、ノーゲイン』(痛みなくして進歩なし)。この言葉を改めて、思う。

 大会直前には岩手・花巻市内で合宿を行った。プロ野球西武に入団した怪物左腕、菊池雄星投手(18)の母校、花巻東高で有名になった街。信成は「(菊池と)似ているといわれる。メッチャ会いたい」と対面を熱望。遭遇はかなわなかったが、花巻東高の写真を撮り、「気」をもらったと笑顔で気勢を上げた。この陽気さが、信成の最大の武器。

 「全日本はできなかった技に挑むチャンス。攻めの気持ちでやりたい」。信長から数えて17代目の末裔。いよいよ世界の舞台で、天下獲りに打って出る。(恵濃大輔)

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織田、五輪切符もガッツポーズなし

フィギュアスケートのバンクーバー五輪代表選考会、グランプリ(GP)ファイナル第3日(東京・国立代々木競技場)は5日、男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)3位の織田信成(22)=関大=が合計243.36点で2位となり、来年2月に行われるバンクーバー冬季五輪の代表に内定した。

 最後に登場した高橋の滑りを、織田はリンク裏のモニターでじっと見つめた。念願の五輪代表入りが決まった瞬間「ふう」と深くひと息。はしゃぐ様子も、派手なガッツポーズもない。母の憲子コーチと抱き合い、静かに喜びを分かち合った。

 SP首位の高橋を2・30点差で追うフリー。「逆転したいと欲が出た」と打ち明ける。脳裏にちらつく五輪切符。その欲は、ミスしたくないという守りの演技につながり、ジャンプでミスも出た。今季光っていた安定感は影を潜めた。

 それでも世界のトップ選手との争いで2位に入った要因の一つにジャンプの着氷の美しさがある。フリーのジャンプでは他を圧倒する10点もの加点をジャッジから引き出した。「ひざから下だけでなく、股(こ)関節で衝撃を受け止められるから、着氷後もスケートが流れる。氷を削らないエコな着氷」と憲子コーチ。もともと体は硬いが、風呂上がりのストレッチなどで、柔軟性を高めてきた。

 高橋とのライバル関係を語るうえで、つきまとってきた4年前の採点ミス問題の残像は、これで薄れるだろう。「ここで五輪を決められてうれしい」。次は4年に1度の大舞台。22歳が新たな一歩を踏み出す。

織田信成 五輪スマイル…4年前の失意糧に GPファイナル

 織田選手はトリノ五輪の出場権を争った05年の全日本選手権で、採点ミスから高橋大輔選手(23)(関大大学院)と順位が入れ替わって優勝を逃し、泣き崩れた。07年夏には、ミニバイクを酒気帯び運転し、1年間、試合から遠ざかった。すべてをバネにした織田選手は「笑いと哀しみ」にあふれるチャプリンの世界を演じる心をつかみ、「いい演技といい笑顔を見せたい」と初の五輪へ思いを話した。

 関大高槻キャンパスグループ統括の中塚義史さん(53)は「高橋君へのライバル意識が強く、同じ空間にライバルがいたことが大きな刺激になったはず」と、高橋選手との切磋琢磨を躍進の理由に挙げた。  
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テーマ:フィギュアスケート - ジャンル:スポーツ