浅田真央と水蜜桃

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バンクーバー五輪 高橋大輔 涙の銅 日本男子初のメダル【まとめ】

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高橋、日本男子初のメダル!堂々の「銅」

フィギュアスケート(18日・パシフィックコロシアム) 男子フリーを行い、ショートプログラム(SP)3位の高橋大輔(23)=関大大学院=はフリーで156・98点をマーク。合計247・23点で、日本勢初となる銅メダルを獲得した。

 高橋は冒頭の4回転ジャンプで転倒したものの、その後は立て直して「世界一」とも称される持ち前のステップと伸びやかなジャンプを次々と決め、2度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)も完ぺきに着地。演技を終えた瞬間は大きくガッツポーズを4回。フリーの得点では5位にとどまったものの、SPでのリードを守りきり、日本勢としては2002年ソルトレークシティー大会で本田武史がマークした4位を超える快挙を達成した。

 日本のフィギュアスケートでのメダルは、女子を含めると1992年アルベールビル大会での伊藤みどりの銀メダル、前回トリノ大会女子での荒川静香の金メダルに続き、2大会連続3個目。高橋は2008年10月、練習中のアクシデントで右ひざのじん帯を断裂。選手生命の危機すらささやかれた大けがを克服し、1932年レークプラシッド大会での初参加以来78年間、日本男子が獲得できなかったメダルに手が届いた。

 今大会での日本勢のメダルは、スピードスケート男子500メートルでの長島圭一郎、加藤条治の銀、銅に続く3個目。

 エバン・ライサチェク(米国)が演技構成に4回転を入れなかったものの、完ぺきな演技を見せてトータル257・67で金メダル。SP1位のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)は4回転ジャンプこそ決めたものの、要所での細かいミスが響いて256・36にとどまり、銀メダルだった。

SP4位の織田信成(22)=関大=は右足のスケート靴のひもが切れて演技を中断するアクシデントがあり、フリーは153・69点、合計238・54点で7位。SP8位の小塚崇彦(20)=トヨタ自動車=は合計で自己最高の231・19点で8位。日本勢は3選手とも入賞を果たした。

 小塚は4回転ジャンプを成功させ、3回転半ジャンプで転倒があったものの、フリーで151・60点をマークした。

 高橋の言葉「(フリーの演技には)満足ではないが、メダルが取れてうれしい。金メダルを目指すのはもちろん、4回転ジャンプを五輪で跳ぶのが目標だった。4回転は失敗したしミスもあったが、滑りきることができた。(メダルが確定して)ちょっと泣いてしまった。ケガをした時はここに立てると思っていなかったので、ここまで来られてうれしい。日本男子で初めて五輪でメダルがとれたことは誇りだし、自信になる」

♪ 続き ♪

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高橋大輔が銅メダル フィギュア男子で日本史上初

◇バンクーバー五輪<第7日>

 高橋大輔(23)=関大大学院=が、日本男子フィギュア初となる銅メダルを獲得した。華麗な表現力が評価され、下位の猛追を退けてSPの順位を守った。金メダルはSP2位のライサチェク(24)=米国=で、五輪2連覇を狙ったSP1位のプルシェンコ(27)=ロシア=は銀。織田信成(22)=関大=は7位、小塚崇彦(20)=トヨタ自動車=は8位だった。

 ブロンズのメダルを首に下げ、星条旗の隣にゆっくり掲げられる日の丸が涙でぼやけた。高橋がフィギュア日本男子の歴史に1ページを刻んだ。

 「アメリカ国歌が流れたんですけど、日の丸を見るとうれしくてちょっと涙が出てきた」

 果敢に挑んだ冒頭の4回転ジャンプは転倒したが、その後は見事に映画「道」の世界を演じきった。ミスも最低限で4位ランビエルの猛追を、0・51点差でしのいだ。

 “転ぶこと”から始まった高橋のスケート人生を描いたような試合だった。

 「何でもない場所で、とにかくよく転ぶ子でした。一生懸命だったんですね」。そう振り返るのは、8歳でスケートを始めた当時指導した倉敷クラブの佐々木美行監督(53)=小学校教諭。高橋は気が弱く、下校時にクラスメートのランドセルを体の前後に担がされ、泣きべそをかいていたという。

 「賞状がほしい。何か運動がしたい」。自分を変えたい一念で発起し、出合った運命の競技。ただ家には高価な用品を買いそろえる余裕はなく、ぶかぶかのスキーウエアに防水スプレーを吹き付けて練習した。「頑張ってジャンプしたら(好物の)鶏の空揚げをつくってあげる」。母・清登さん(60)の言葉に発奮した

大学1年で出場した05年ユニバーシアード冬季大会では、ジャッジの間で「ヤグディン(ソルトレークシティー五輪金)以来の踊れるダンサー!」と絶賛された。前コーチのニコライ・モロゾフ氏に師事したころから演技が変わったが、原点は小学校で踊った「よさこいソーラン節」。リズムに合わせるセンスがあると先生に褒められ、踊るのが楽しくなった。

 一昨年10月末に右ひざ前十字じん帯断裂の大けがを負った。選手生命の危機を乗り越えた強靱(きょうじん)な脚。中盤の見せ場となる、円を描くステップは最高のレベル4。中には最大となるプラス3の出来栄え評価をつけたジャッジもいた。これがジャンプミスをカバーした。

 この脚をはぐくんだのは父粂男さん(64)。リンク近くにある約100段の階段を片足で上がらせ、30分連続で往復ランニングさせた。

 小6の春、高橋は地元のラジオ番組で「夢はオリンピックです」と、今と変わらないボソッとした口調で照れながら話した。それを実現できたのは、父、母、先生…周囲のあふれるばかりの愛情があればこそだった。

 「メダルを取れたことは自信になりましたけど、自分の理想とする演技はできなかったので。これをスタートとして次に向けて頑張りたい」

 3月の世界選手権では世界王者に挑む。歴史に名を残した日本男子のエースはメダルを見つめ、飛躍を誓った。

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高橋、攻めて「銅」…男子フィギュアに新たな歴史

【バンクーバー=読売取材団】バンクーバー冬季五輪は第7日の18日(日本時間19日)、フィギュアスケート男子で銅メダルを獲得した高橋大輔(関大大学院)が、この種目で日本男子が初参加した1932年レークプラシッド大会以来、初めて表彰台に立った。今大会の日本勢のメダルは、スピードスケート男子500メートルの長島圭一郎(日本電産サンキョー)の銀、加藤条治(同)の銅に続き、3個目。織田信成(関大)は7位、小塚崇彦(トヨタ自動車)は8位に入賞した。ショートプログラム(SP)2位のエバン・ライサチェクが、米国勢6大会ぶりの金メダルを獲得した。

4回転ジャンプへの挑戦は、失敗に終わった。それでも、高橋大輔(23)は4分30秒の演技を終えると、ガッツポーズを繰り返した。

 「この(五輪の)場で滑り切れてうれしい」――。右ひざの大けがを乗り越え、「これが最後」と決めた五輪の舞台で、銀盤の女神が銅メダルというプレゼントを贈った。

 高橋がこだわっていたのは、4回転ジャンプと金メダル。屈指の4回転ジャンパーであるエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)の復帰で、勝つためには、「必須」と言われるようになった大技。高橋は故障する前、フリーで2度成功させていたが、復帰した後は一度も試合で決めていなかった。

 SP3位でメダルを「守りにいく」なら、4回転回避も選択肢としてあったかもしれない。しかし、迷いはなかった。これまでと同じように、果敢に踏み切った。結果は転倒。基礎点9・8の大技も、回転不足と減点などで、結果的に0点に終わってしまった。

 それでも、焦りはない。演技の後半に、もう一つの「4回転」を用意していたからだ。五輪へ向けて、演技の前半に入れていた二つのトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)のうち、一つを後半に変更していた。基礎点8・2と4回転には及ばないが、ジャンプは後半に入れると、基礎点が1・1倍になるため、トリプルアクセルの場合は9・02にアップする。

 体力が限界へと向かうなか、高橋は、トリプルアクセルに臨んだ。着氷がピタリと決まり、基礎点に出来栄え点1・80が加わって10・82に。4回転の失敗を帳消しにし、4位の選手を総合で0・51上回った。

 トリプルアクセルは一昨年10月、右ひざのじん帯断裂の原因にもなったジャンプ。昨年4月に氷上練習を再開した後も、「ケガをしたジャンプなので、最初は怖かった」と漏らしていた。だが、五輪という大一番で、この技を上位陣でただ一人、演技後半で成功させた。

 4回転がなければ、勝つことは難しいが、4回転だけでも勝てない。そこに勝負をかけた。「4回転で金メダル」は達成できなかった。「まだまだ自分は弱い。でも、まだまだ強くなれると思う」。大けがによる絶望との闘いの中で培った強い気持ちが、日本の男子フィギュア界に新たな歴史を作った。

(2010年2月20日 読売新聞)

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高橋「銅」フィギュア男子初メダル

バンクーバー冬季五輪フィギュアスケート男子フリー(18日=日本時間19日、パシフィック・コロシアム)やった、快挙だ! 歴史が動いた!! フィギュアスケート男子のフリーで、ショートプログラム(SP)3位の高橋大輔(23)=関大大学院=がフリーで5位の156・98点をマークし、合計247・23点で銅メダルを獲得した。フィギュアの日本男子では五輪初の表彰台だ。高橋は冒頭の4回転ジャンプで転倒したが、持ち味の表現力でカバーした。右ひざに大けがを負い、リハビリに耐え抜いた日々。情熱的な氷上のダンサーが、世界を魅了した。

転んでも、立ち上がる。これが、この男の魂だ。冒頭の4回転トーループ。高橋はいきなり転倒した。だが、あきらめも、焦りもない。右ひざのじん帯を断裂する原因となったトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)からの連続ジャンプを決め、勢いに乗った。

 最後のスピンを終えると、4度もガッツポーズ。フリーでは5位だったが、SP3位の貯金を生かし、日本男子悲願の銅メダルだ。「日本男子初のメダルは誇りに思う。自分を褒めたい」。

 興奮の演技終了から8分20秒後。最終滑走のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)を待たずしてメダル獲得が決定した高橋は、リンク裏で涙を流した。日本男子が五輪初挑戦から78年をかけ、欧米が独占してきた男子の表彰台の一角を突き崩したのだ。日の丸が掲揚されると、涙がこみ上げてきた。首に銅メダルをかけられ、「うれしくて…。(メダルは)重いっす」。

首位と0・60点の小差で迎えたフリーは逆転を狙って迷わず攻めた。安全策をとって、4回転を回避する選択肢もあった。この日朝の練習でも2度失敗していたが、「ジャンプ、ステップ、スピン…。フィギュアはすべてをまとめる競技だから」と胸を張った。フリーの演技点は84・50点。転倒してもエバン・ライサチェク(米国、82・80点)、プルシェンコ(同)を上回った。子どものころ、母・清登(きよと)さん(60)が働く岡山・倉敷市内の理髪店の大きな鏡の前でいつも笑顔で踊っていたという魅せて、見られる楽しさ-。原点を忘れてはいない。

 4回転ジャンプの滞空時間は平均して0・84秒。プロバスケットボール(NBA)で「神様」といわれたマイケル・ジョーダン(米国)のダンクシュートより長い時間といわれる。着氷の衝撃は体重の3倍以上。そんな大技を支える右ひざに痛みが走ったのは08年10月31日の練習中だった。「右ひざ前十字靱帯(じんたい)断裂。半月板損傷」。翌月に手術。そのシーズンを棒に振った。

 手術後の昨年2月には、気持ちが煮詰まって病院を脱走。2週間行方知れずとなり、周囲を心配させた。だが、自ら戻り、リハビリを再開。股関節や両足首の可動域を広げる運動に取り組み、強弱をつけた演技に深みが増した。「けがをして気づくこともあった。ここまでたどりつけたことを誇りに思う」。

 復帰後は自覚も強まった。昨夏から栄養士・石川三知さん(味の素ビクトリープロジェクト)と契約。石川さんの協力を得て自炊を始めた。練習前は早起きして、自分で買った包丁を手に昼用の弁当を作る。腱や筋肉にいいコラーゲンを含む鳥手羽元の煮込みは得意料理だ。手術直後は10%を超えていた体脂肪は、いま5%前後をキープする。

「ボクが求めているのは4回転を成功させてのパフォーマンスです」。この舞台では大技には失敗したが、跳べて踊れる技術力と表現力を兼ね備えた演技を貫き通した。すべてが完成に近づくとき、表彰台の真ん中がはっきりみえる。

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高橋「和」の力!異例の日本人チームでメダル

フィギュアスケート(18日・パシフィックコロシアム) 男子フリーを行い、ショートプログラム(SP)3位の高橋大輔(23)=関大大学院=が合計247・23点で、日本男子初、同種目では欧米人以外で初の表彰台となる銅メダルを獲得した。

 欧米の指導者が主導権を握るフィギュアスケート界で、ほとんどを日本人で占める「チーム大輔」の存在は異例といえる。

 1966~67年全日本選手権女子優勝の経験がある長光歌子コーチ(58)は、高橋が中2のときに知り合い、それ以来の師弟関係だ。浅田真央を指導するタラソワ氏、あるいは安藤美姫を見ているモロゾフ氏と05年から3年間のダブル指導の時期もあったが、基本はずっと長光コーチだ。特に関大に進学してからは大阪の自宅に下宿させ、公私で高橋を支えている。「けがしたときはどうなるかと思ったけど、今にしてみれば、それがあったから銅メダルが取れたと思う」と胸をなで下ろした。

 サポートしてきた面々も強力だ。ジャンプコーチは、02年ソルトレークシティー五輪男子4位で日本人初の4回転ジャンパーになった本田武史さん(28)。今季SPの振り付けは、アイスダンス元全日本王者の宮本賢二さん(31)。フリーはイタリア人のカメレンゴ氏。主治医は社会保険京都病院スポーツ整形センター長・原邦夫医師(54)が務め、けがのケアに努めた。

 また、トリノ五輪金メダルの荒川静香の栄養士を務めていた石川三知さんが食品摂取について指導。マネジメント業務は荒川が所属するUSMの井原健彦氏が受け持ち、取材などを一本化して“ストレス”を軽減させてきた。

 「チームのみんなで彼を盛り上げてきた。すべてのみなさんに感謝したい」と笑顔を見せた長光コーチは高橋に、「まだ泣けなかった。これじゃやめられないよね。世界選手権では4回転を決めてね」。この日逃した金への挑戦は終わらない。

◆高橋 大輔(たかはし・だいすけ)1986年3月16日、岡山・倉敷市出身。23歳。倉敷翠松高から関大へ。現在は関大大学院2年生。8歳からスケートを始め、高2の2002年世界ジュニアを日本人として初制覇。06年トリノ五輪8位。07年世界選手権で日本男子最高の銀メダル。全日本は05年から3連覇。08年四大陸選手権で男子世界歴代最高の264.41点で優勝。同郷の有名人にB’zの稲葉浩志(津山市)、浅草キッドの水道橋博士(倉敷市)。趣味は読書、音楽鑑賞。165センチ、59キロ。血液型A。家族は両親と兄3人。

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高橋が喜び「両親にメダル見せたい」

バンクーバー冬季五輪で銅メダルを獲得した高橋大輔選手(23)=関大大学院=ら、フィギュアスケート男子の日本勢が19日(日本時間20日)、バンクーバー市内で記者会見し、高橋選手は「まだ両親と電話でも話していない。早く日本へ戻ってメダルを見せたい」と一夜明けての喜びを語った。

 日本のフィギュア史上初の男子五輪メダルとなったが、前日のフリーの演技には不満が残っているそうで、喜びとともに「悔しさが入り交じっている」とも話した。緊張から解放された穏やかな表情で「こうしてメダルを(首に)掛けて話せることがすごくうれしい」と述べ、次の目標を問われると「まだ世界選手権のタイトルを取っていないので、そこを目指して頑張る」と答えた。

 靴ひもが切れるアクシデントで7位にとどまった織田信成選手(22)=関大=は「一晩明けて悔しい気持ち。五輪に来られたことは感謝している。経験を生かしてもう一度五輪に行きたい」と述べ、8位の小塚崇彦選手(20)=トヨタ自動車=は高橋選手の表彰式を見て「日の丸が揚がってすごくいいなと思った。4年後に高橋選手のような演技をして、表彰台に立ちたい」と話した。

また、スピードスケート男子500メートルの銀、銅メダリスト、長島圭一郎選手(27)と加藤条治選手(25)=ともに日本電産サンキョー=も記者会見。加藤選手は「次は世界で最初に33秒台を出してみたい」と次の目標を話し、長島選手は「取るまではメダルがほしくてたまらなかったが、取ってみるとそんなでもない」と言って笑わせた。(共同)

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