浅田真央と水蜜桃

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バンクーバー 安藤美姫 高難度ルッツ-ループ回転不足 SP4位【まとめ】

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美姫ただ1人「最高難度」挑戦も回転不足4位

◆フィギュア(23日・パシフィックコロシアム) 2大会連続出場の安藤美姫(22)=トヨタ自動車=は、冒頭の3―3回転ジャンプが回転不足と判定され64・76点で4位発進となった。

 十字架をあしらった新衣装に身を包み、安藤は風を切って滑り始めた。ハイライトは冒頭。2連続3回転ジャンプの中でも基礎点11点と最高難度のルッツ→ループに、ただ一人挑んだ。しかし後ろのループが回転不足の判定。一瞬、バランスを崩しかけた。演技を終えて天を仰いだ安藤に、会心の笑みはなかった。

 今季は3―3回転で失敗するリスクを避けて3―2回転を選択してきた。しかし勝負をかけなければ、この大舞台でメダルに手が届かないことは分かっている。慎重派のモロゾフ・コーチも安全策を取るつもりはなかった。安藤は「(自分を)信じてやらせてくれた。スッキリしている。順位も大切だけど、2連続3回転をやるという強い気持ちを持っていた」と自分の勇気に胸を張った。

 冒頭のジャンプ以外はステップもスピンも含めてキッチリまとめたはずだった。だが、得点は思ったほど伸びない。「(回転不足による)ダウングレードが悔しいかな」。史上最高レベルの争い。たった1つのミスでSP4位と出遅れた。挑戦したことに悔いはないが、表情は複雑だった。

 トリノ五輪の惨敗(15位)で挫折を味わった。08年世界選手権は、けがで途中棄権。「普通の女の子でいたい」。世間から注目されるつらさから、本気で引退に気持ちが傾いた。だが、トリノで見た荒川静香さん(28)の金メダルが忘れられず、「同じ色のメダルが欲しい」という気持ちを思い出した。新たに師事したモロゾフ・コーチのもとで時計は再び動き出し、急成長した今回は“隠れ金メダル候補”といわれていた。

 フリーで演じるのは古代エジプトの女王「クレオパトラ」。安藤は主役に近づくため、髪を切って、肌を日焼けサロンで焼いた。「順位、得点にこだわらず、最後まで演じ切りたい」。挑戦の姿勢は崩さない。

♪ 続き ♪

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美姫SP4位に「悔しい…」

<バンクーバー五輪:女子フィギュアスケート>◇23日(日本時間24日)◇パシフィック・コロシアム

 07年世界選手権覇者の安藤美姫(22=トヨタ自動車)は、64・76点でメダル射程圏の4位につけた。攻めの姿勢を貫いたが、3回転+3回転の連続ジャンプに失敗した。SP3位のロシェット(カナダ)との差は6・60点。25日(日本時間26日)のフリーは、逆転での表彰台を狙う。

 後悔はしていないが、悔しさが残った。今季1度も成功していない連続3回転ジャンプは、後半が回転不足になった。最終滑走者の安藤は「自分らしく、練習したことを発揮したいと思ったから」と挑戦の理由を説明した。3回転+2回転の安全策なら、得点は上積みできた。だが、攻める方を選択した。

 モロゾフ・コーチも、意見は同じだった。「信じてくれている。今までだったら安全策というところを、何も言わずに見守ってくれた。すっきりしていますけど、点数はやっぱり悔しいです」。得点は伸びなかったが、コーチと一体となって攻める姿勢を貫けたことは、フリーへ向けての武器になる。

 「1度目の五輪と2度目は全然違うよ」。前回五輪で金メダルを取った荒川静香さんの言葉は、今も胸に残る。以前は、06年トリノ五輪で引退し、結婚して、22歳で出産する夢を描いていた。ママとして、五輪に連れて行ってもらうことまで考えたこともある。あれから4年、子供じみた考えはなくなった。落ち着いて、競技に向き合っている。

 逆転メダルがかかるフリーに向け、安藤は言う。「4年前から成長したねって言われるように頑張る。自分らしさを忘れずに、最後だと思って頑張りたいです」。演じるのは「クレオパトラ」。4年前と違い、演技力や表現力が武器になる。モロゾフ・コーチは、逆転の可能性について「すべてが起こり得る。それが五輪だ」と上を見た。

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美姫「悔しい」…ミス響きSP4位

バンクーバー冬季五輪フィギュアスケート・女子ショートプログラム(23日=日本時間24日、パシフィック・コロシアム)ミキティ、フリーで勝負! 女子のショートプログラム(SP)を行い、五輪2大会連続出場となった元世界女王の安藤美姫(22)=トヨタ自動車=はジャンプのミスが響いて64・76点、4位発進となった。3位のジョアニー・ロシェット(24)=カナダ=とは6・60点差。日本人の両親を持つ米国代表の長洲未来(みらい、16)は若さあふれる滑りで6位と健闘。鈴木明子(24)=邦和スポーツランド=は11位。

得点を確認すると口を結び、前を見据えた。笑顔もなければ、落胆もない。大技にチャレンジし、攻めた大舞台。ミキティは吹っ切れた表情を浮かべた。

 「勝負というより自分への挑戦。今シーズンで一番よかった。点数は悔しいですけど…」。演技冒頭の3回転ルッツ-3回転ループのコンビネーションを今季初めて組み込んだ。基礎点は11点、高難度の2連続3回転ジャンプ。2つ目が回転不足になったが、「やると決めてトライできてスッキリしている」。SP4位。得点も伸びなかったが、目は生きている。

 SPの曲は死者を悼む「レクイエム」(鎮魂歌)。「ミサ曲を人に伝えるパワーは今のミキしか持っていないし、ミキなら表現できる」。師事するニコライ・モロゾフ・コーチ(34)から提案された楽曲だ。十字架をあしらった新しい衣装。両手をしなやかに天に広げ、締めのポーズで両手をかざす。

 「空が好き。見上げたら父がいるから」

96年6月3日。バイクの事故で父・幹高さんを亡くした。本格的にスケートを始めてから約1カ月後の出来事。まだ小3、8歳のときだった。

 18歳で出場した前回トリノ五輪は、大きな期待と“ミキティ・フィーバー”のなかで15位と惨敗した。失意が続いた同五輪後の06年スケートアメリカで幹高さんが娘に会いに来たことを感じた。試合前のメーク中に、後ろからポンポンと3回たたかれた。「お母さんと思ったら誰もいなかった。きっとお父さんだった」。この大会でグランプリ・シリーズ初優勝を飾って復活。07年世界選手権で女王へのぼりつめた。

 「(トリノ大会は)日本代表という自覚がなくて自己満足で終わっていた。4年間で成長したね、といわれるようにがんばりたい。点数にこだわらず、自分らしさを忘れずに最後だと思って滑りたい」。集大成となるフリーへ。4分間の演技に、4年ぶんの「ミキティ」を凝縮する。

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安藤、自己の挑戦に誇り=「すっきりした」SP〔五輪・フィギュア〕

結果より自身の思いに胸を張った。安藤は演技の冒頭でルッツ、ループの連続3回転ジャンプに挑戦。うまく決まらず、3位に6.60点差のSP4位と少し出遅れた。それでも、「安全策を取らず、自分でトライできたので気持ちはすっきりしている」と、はっきり言い切った。
 難度の高い技にプライドを懸け、バンクーバーに入ってきた。二つ目のジャンプが回転不足となり、着氷ではスムーズさを欠く。「減点はちょっと悔しいし、順位も大切だけど、3―3をやると強い気持ちでやってきたから」。自らの選択に納得の表情を浮かべた。
 ライバルの金妍児、浅田が高得点を出した後、最後で迎えた滑走。重圧の掛かる状況で「緊張はしていたと思うけど、自分のペースを持ってモチベーションを保てたのはすごく良かった」と言う。大舞台での精神面の好感触は、2日後のフリーへ大きな武器になるはずだ。
 表彰台の期待も背負った前回のトリノ五輪では15位。「自覚不足」もあって本来の実力を発揮し切れなかった。「4年前から成長したねと言われるよう、自分らしさを忘れずに最後と思って頑張りたい」。元世界女王は無心の境地で滑る。(バンクーバー時事)

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美姫、氷上の鎮魂歌…難病死の9歳と「金」約束

23日(日本時間24日)の女子フィギュアスケート・ショートプログラム(SP)に出場した安藤美姫選手(22)は、難病との闘いの末に9歳で逝った名古屋市の男の子に金メダルを約束していた。

 調子を落とした頃、男の子から勇気をもらったという。

 闘病中の各務(かくむ)宗太郎君と安藤選手が知り合ったのは2008年の初め頃。宗太郎君は消化器官が正常に機能しない難病で、闘病を新聞記事で知った安藤選手が励ましの手紙を出したことがきっかけだった。

 2月には東京都内の大学病院を訪ねた。手にしていたのは、その直前に韓国で開かれた四大陸選手権で獲得した銅メダル。「これ、宗ちゃんにあげる」とメダルを首にかけてあげると、うれしそうな顔をした。

 この頃、安藤選手は調子が上がらないことに苦しんでいた。前年の大会ではジャンプを失敗して何度も転倒。痛めていた肩も十分に回復したとはいえず、苦しみながら手にした銅メダルだった。「このメダルは、まだ成長過程のミキの一歩。五輪では金を取るからね」

 宗太郎君の病気との闘いは、それからが本番だった。複数の臓器を同時に移植する難手術を受けるため、この後に渡米し、08年3月にマイアミの病院で手術を受けた。8月には経過観察のためニューヨークの別の病院に転院。その頃、安藤選手は練習拠点を米国に移しており、病院から車で約1時間ほどの場所でトレーニングしていた。練習の合間、安藤選手は恐竜の図鑑などを手に宗太郎君を何回も見舞った。

 ところが9月、容体が急変する。連絡を受けて安藤選手も病院に駆けつけたが、そのまま静かに息を引き取った。約束した金メダルをプレゼントすることはできなかった。

SPの演技が行われたパシフィックコロシアムの観客席には、宗太郎君の母、優子さん(38)の姿があった。この日のテーマ曲はモーツァルトの「レクイエム(鎮魂歌)」。安藤選手は荘厳な調べに身を任せ、氷上を舞った。

 優子さんはスタンドから懸命に拍手を送った後、つぶやいた。「最後にミキちゃんの笑顔が見られればいい」。25日(日本時間26日)のフリーの演技を今から楽しみにしている。
(2010年2月25日06時54分 読売新聞)  
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テーマ:フィギュアスケート - ジャンル:スポーツ

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